[SS]その絆のように
それが微かに耳に届いたのは王立図書館からの帰り道、アシェリーナが気分転換にと駐屯地の中庭を訪れた時の事。その声の発信地はどこかと神経を聴覚へと集中させた。
──ニャー、ニャーン──アシェリーナはきょろきょろと辺りを見回し、屈み、覗き込み、ゆっくりとその声の元を探り、近づく。
いた……!
花壇と草むらの近く、陽の当たるそこに母親猫と3匹の小猫がいた。
彼らは敏感故に、アシェリーナが気付くよりも先に彼女の存在に気付いていたのか、じっとこちらを窺っている。が、暫くすると害のない人間だと判断されたのか、警戒を解き、隠れることもなくのんきに身体を舐めて寛いでいる。
特に脅かしもしなければ逃げることもないと分かると、アシェリーナは猫たちの付近にしゃがみこみ、膝を抱えてその親子の愛らしい仕草を堪能することにした。
3匹の小猫は生まれたばかりか、おぼつかない足取りと好奇心旺盛な瞳、頼りなげな毛並みを持ち、それらがアシェリーナの心を鷲づかみにして離さない。彼らは無邪気に兄弟でじゃれ付き、絡まり、転がり、立ち上がっては弱々しい爪を懸命に広げ遊んでいる。
そんな様子がおかしくてアシェリーナにも自然に笑みがこぼれた。
ぽかぽかと陽射が包む中、アシェリーナはその暖かい空気を楽しみながら暫し瞳を閉じた。
──あの二人を初めて見かけたのは図書館だった。一人はそこの司書の女性。小柄で明るく、親切で朗らかな事は知人でなくとも見て取れた。女のアシェリーナから見ても魅力的な女性だった。
そして隣で微笑む背の高い騎士の男性は理知的で穏やかで、司書の女性に対する優しさと愛しさが傍から見ても伝わってくる。二人から笑みが絶えることはない。
不思議な感じだった。あんな理想的な絆が、実際にあるなんて。
多感な時期に両親の絆を見ることもなく、両親から愛情さえも貰えずに過ごし、絆というものに対し希薄な印象しか持てずに居たアシェリーナにとっては、そのなんてことない光景がとても眩しく映った。
アシェリーナはまめに図書館を訪れた。そして二人が居ない時には少し落胆し、しかし騎士の男性が訪れた際には密かに憧憬の目で眺めていた。
羨ましい……あんなすてきな人に優しく愛されているのが、微笑を向けてもらえているのが、周囲にさえも感じ取れる信頼と愛情が……素直な気持ちだった。優しい絆で結ばれている二人を、アシェリーナは心から羨ましく思った。
小猫たちは無邪気に走り回るが、母猫の傍からは離れない。小さな命の中にも、確かな愛情があった。
「あなたたちはいいわね……」
思わず呟いていた。猫たちでさえ持ち合わせているものを、どうして私にはなかったのだろう。
小猫はそんなアシェリーナの心境など露知らず、兄弟とのじゃれ付きに夢中で、それも次第に興奮し、滑稽な動きとなっている。
アシェリーナに訪れた憂鬱な気分さえも、目の前の猫達は一瞬で薙ぎ払ってしまっていた。
アシェリーナはくすくすと笑い、何かあげようかと鞄を探るも、あげられそうなものは何一つなかった。
「本当に凄いわね、あなたたち。そこにいるだけで人を笑顔にさせちゃうなんて」
あの二人も、きっとお互いがそこに居るだけで笑顔になれるのだろう。
そう思うと途端に胸が痛んだ。
「私には出来ないことだわ」
そう、周囲の誰に対しても、あの人に対しても。
「最初は、本当にただの憧れだったのよ……?」
温かい風がざわざわと木々を揺らす。
所属したこの黄騎士団で、ずっと視線で追っていた彼の姿を見たときは腰を抜かす思いだった。
驚き戸惑いつつも、接していくうちに優しく穏やかな彼、セイブレムに惹かれるようになっていた。
空想の中の人物像とは少し違ったが、想像よりももっと魅力的で、話すだけで胸が高鳴った。
時には相変わらず図書館で見かける二人の姿を、自分と置き換えるような妄想をしたり、それを振りはらったり。
馬鹿みたい。
そして観念したアシェリーナは、想いは秘めつつも気持ちに正直になる事にした。
想うだけ。決して邪魔はしない。ただ惹かれてしまった。叶わない事は承知の上で。それだけの事。
「でも、空想の中のあの人より実際のあの人のほうがずっと素敵だったんだもの。しょうがないでしょ?」
アシェリーナはそっと母猫の喉元に手を伸ばし、軽く撫でてみる。
人懐っこいのか逃げる様子もなく身を許してくれたことに、和む気持ちで満たされている。
「誤解しないで。私、別に、あの人から奪ってやりたいとか、そんなこと考えてないの。強がりじゃなくて、本当。だって私──」
心に浮かぶ二つの笑顔。その傍らには自分は居ない。
「私が好きなのは、ラフィナさんの傍で自然に笑ってるセイブレムさんなんだもの」
あの笑顔を出す事が出来るのは、世界でただ一人、彼女だけ。私ではない。
アシェリーナのセイブレムに対する好意に偽りはない。が、二人の存在はアシェリーナにとっては特別なものだった。
絶対に崩してはならないものだった。
それでも傍に居ると頬は熱くなるし、動悸は激しくなるし、上手く話せなくて……普通に振舞わなくてはと思っているのに、全く、どうしろというのか。
私にもいつか、あの二人のように傍に居るだけで微笑み合える人が現れるのかな、小さく呟いた。
母猫は知ってか知らないでか、応えるように、子をあやすように、アシェリーナのその抱えた膝に身体を擦り付けた。
「もう、せめて普通に仲良く出来るように、あんたたちも手伝ってよね」
母猫の額を指で軽く弾くと、猫はニャアと短く鳴いた後、ゆっくりと親子揃って散歩にでも行くのだろうか、その場を後にした。
いつか、この想いが別の絆へ繋がるまで。いつか、自分が変われるその日まで。
どうか、もう少しだけ静かに貴方を想うことをお許しください。
アシェリーナも立ち上がり、自室へと足を運んだ。
関連:庭のネコ。(@広瀬ぶろん様)