[SS]ある幸せな一日
すっかり静まりかえった店内には大小の影が二つ。
壁にあるカレンダーには、白峰の月6日、今日の日付にケーキの落書きの印がつけられている。
ヴィッツは洗い終わったグラスを鼻歌交じりに磨き、もう一つの小さな影は男の足元に絡みつきながらにゃあと鳴く。
「今日はいつもよりお客さんいっぱいきたよなあ、フロン」
嬉しそうにヴィッツは言うが、猫のフロンは足元に擦り寄るばかり。
ヴィッツはグラスを次、また次と磨きながら呟いた。
「みんなからすれば今日はただのケーキ特売日のはずだったのにさ」
ヴィッツは毎年自分の誕生日に、赤字ギリギリの価格で特別な創作ケーキをメニューに並べていた。
内容は毎年違い、常連客はそれを楽しみにしてくれているという実感もあった。
わざわざそんな事をするのは、常連客や友人、ご近所さんらに対し、いつも食べに来てくれている事、仲良くしてくれている事、他にも沢山の気持ちを込めてヴィッツなりの感謝の気持ちの示し方だった。
グラスを棚に片付けると、先ほどから足元で食事を催促をする愛猫のためにキャットフードを器へ注ぐ。
「ケーキ食べに来るのに、わざわざ用意してくれたんだぜ? 俺のためにだって。ほら」
顔を上げるとテーブルには小さな荷物が数個。中には珍しく、遠くガルスへ行った幼馴染からのプレゼントもあった。いずれも太陽や虹、ヒマワリなどがモチーフとなったものばかりで、それぞれが自分に抱いてくれているであろうイメージのものを選んでくれたのだろうか。想像するだけで嬉しくて顔がほころんでしまう。
こんな優しい街で育ち、こんな優しい街で暮らせて、本当に自分はなんて幸せなんだろう。
片付けの済んだ静かな店内には、カリカリと猫がフードを食べる音と、時計がコチコチと時を刻む音のみが聞こえる。
プレゼントの傍らには外したサングラスと写真立て。その中には亜麻色の優しい目をした女性と、漆黒の瞳を細めた小柄な男性が並んでいる。そして二人の間にまだ幼い橙色の髪と翠の瞳で笑う自分がいた。
皆笑顔で、両親が一番気に入っていた写真だった。
「こうして見ると、やっぱり全っ然似てないよなあ? でもな、お店に来てくれる人は、みんな俺とマスターはやっぱり親子だねって言うんだよね。何でだと思う?」
ヴィッツは返事が返ってくるはずもない相手に問いかける。
そ知らぬ顔でくつろぐ猫の両前足脇を抱え、無理やりに向かい合わせにして、話くらい聞いてくれよと額をあわせながら、迷惑そうな顔をする猫の気持ちなどお構いなしに。
「それはな、無駄にテンション高いところと、全然理解できない意味不明な店の飾りの趣味なんてそっくりなんだってさ!」
と、言った近所のお爺さんの口ぶりがあまりに可笑しかった事を思い出し、一頻りゲラゲラ笑うと、呼吸を整えてから猫を開放してやり、付けたした。
「あと、同じ顔して笑うんだって」
そして両親の写真立てを手に取り、しばらく眺める。
物心ついた頃から当たり前のように親子として過ごしていたが、どうやら血の繋がりはないらしい。
幼い頃は似ていない事を気にした時もあったものの、それでも大好きな両親であることには変わりなかった。
なのに突然に失ってしまい、当時は相当塞ぎこんだが、こうして立ち直れたのも周囲の人たちが支えてくれたからだ。
「俺、頑張るからさ。俺がこの店絶対守るよ。沢山の人が笑えるお店にするから。俺みたいな息子持てて幸せだーって思うくらい頑張るよ。だから俺とこの店のこと見守っててくれよ」
ヴィッツは無邪気に笑う三人の写真に向かって呟いた。
「大丈夫、こんな優しい人たちに囲まれて、俺今すごく幸せなんだ。一人じゃないから、心配しないでくれよ」
そういって写真立てにプレゼントの山を見せ付けるように掲げた。
そしてまた一年、一年と、この日を迎える度にどんどんこの街も周りの人々も好きになってゆく。
それがヴィッツには嬉しくて幸せでたまらないのだ。
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