[SS]嫌われたくないだけ

ある土地、あるサーカス一座“ベルガーデン”のテント内で、一人の新人が項垂れていた。
その男は今までの彼女の言動や行動からこの考えに行き着いた。
「……絶対に……嫌われた……」

薄々は気づいてはいたものの、はっきりと認めたくなかったのかもしれない。
たしかにアレはやりすぎたかなとか、マズかったかなと思っていた。軽く流してくれていたならこんなには思いつめたりなどしないだろうに、やはりかなり避けられているように感じる。
嫌われた――改めて言葉に出してみると、思いがけず自分の言葉にグサリと胸が痛んだ。ああ、俺の阿呆、馬鹿、間抜け。嫌われたくてやったわけじゃないのに、どうして裏目に出るんだろう。

思い出すのは数日前の事。それは新人ウィリの初舞台の日でもあり、得意のナイフ投げを本格的に披露した日でもあった。
スリルと緊張の中、見事大成功を収めたウィリが嬉々として舞台裏に戻ってくると、同じく出番を終えたばかりウサギのきぐるみが隅で腰掛けている。
「お疲れ様、ウィリ」
「あ、団長もお疲れ様ッス」
思えば、入団以来初めて一座の団長ローザと挨拶以外の会話をしたかもしれない。

美人だけどひたすら無愛想。それがローザへの印象だった。とてもじゃないが、このにこやかなウサギの中にいる人とは思えないようなクールな立ち振る舞い。それはまるで人を避けてでもいるかのように。
「団長、どうでした? 俺の演技。なかなかのもんでしょ?」
我ながら無難な会話の選択だな、と思いながらその反応を覗う。彼女のことだからきっと「ああ」とか「いいんじゃないか」等といった簡単な反応だろうとは分かってはいても。
「ああ……いいんじゃないかな」
全く予想通りの反応に思わずウィリは吹き出しそうになるのを我慢した。
ところがその予想を飛び越えて彼女は続けた。良かったところ、直した方がいいところ、事細かに意見を述べている。

意外だった。自分の演技もあったのに、ウィリを始め他の団員の演技もシッカリ見てくれていたのだ。そして最後には「あんなにカッコイイ演技ができるとは思っても無かったよ、次もがんばってくれ」と微笑んでくれたのだ。
決して満面の笑みではない。だが、あのクールで無愛想なだけの印象を覆すには十分すぎる柔らかな笑み。
たった一瞬、たった一言だった。だが、ウィリにとってはなんだかとてつもなく嬉しい言葉に感じ、その笑みもとてつもなく美しく見えたのだ。

ここでありがとうございます、と微笑み返しでもして頭を下げるだけに止まっていればよかったのに──嬉しかったんだ。その言葉、その笑顔が本当に嬉しくて、“嬉しさの余りに”という言葉が相応しいと思う。深く考えてなかったんだ。
ウィリはあろうことに、ありがとうございますううううと叫びながら、ローザに抱きついてしまったのだった。
さっきまでの笑顔が一変、いや、表情も何も確認なんてできないくらいの勢いで体を突き放され、次の瞬間には平手打ちが飛び込み、辺りにはパァーンという音が響――かない、きぐるみの手のパフンという音と、余り痛くない左頬だけが残された。面を上げると、既にローザは走り去った後。
よく考えなくても、たいして親しくも無い人間が、しかも部下が、しかも素性も余り知らない得体の知らない新人が、あろうことに団長に、さらに男が女にいきなり抱きつくとその後平手打ちが飛んでくるなんてすぐわかる事。普通はしない。
あれ、俺今何したっけ? 押し寄せてくる後悔の嵐。ウィリはその何も無いその場所をただただ見つめるしかなかった。

数日が過ぎた今日。その間もウィリは一人悶々と考えていた。ぼーっとしすぎて、練習中もショーの相方の頭を危うくザックリいってしまうところで、後でこっ酷く怒られたりもした。
はぁとため息をついているところに突然、
「ウィリ」
思いがけない人から声を掛けられた。
ローザだった。
「だ、団長?」
「どうもミスが多い。気をつけなよ、ナイフ投げは危険なんだから」
それは数日前のことなど何も無かったかのような、いつも通り団員に声をかける団長の姿そのものだった。
「あ、はい、すいません」
注意されたことよりも、あれー? なーんだ特別避けられているわけではなかったのか、全ては俺の考えすぎだったのか?それとも団長として言わなくてはならないほど俺は酷くなっていたのか?色々ぐるぐると頭を回っていたが、ただ一つだけ確かなことがあった。
そう、今このタイミングでこの前のことを謝らなければ。そして、ああいいよ、気にしてないよと、その言葉が欲しかった。
「それじゃ、がんばって」
そういって踵を返す団長の手首を、逃がしてたまるかと言わんばかりにすかさず掴んで、
「待って団ちょ……」
待って団長、俺謝りたいことがあるんです──言い終わる前に掴んだ手をバッと振り払われた。
ローザは少しばつの悪い表情で、それじゃ、とだけ言い少し早足で去っていく。

あれ? 嫌われてるのが思い過ごしっていうのがもしかして思い過ごしで……?
なんで? なんで? そんなに俺のこと嫌いですか? もしかして俺なんか汚いとかなんか臭いとか臭うとかなんか気持ち悪いとかそういうアレですか……?
振り払われた手とその時のローザの表情に壮大な精神ダメージを食らい(そして自虐でも地味にダメージを食らい)、打ちひしがれているウィリの肩を、副団長のルイージがポンと優しく叩くのであった。


「単刀直入に言います。俺、団長に嫌われました」
二人の他に誰もいないステージ脇。事情を一通り言い終わった後、ウィリは寝転がりながら愚痴愚痴と拗ねているのか開き直ったのか、相当機嫌が悪い。
向かいに腰を下ろしたルイージは考え込んでいるのかあるいは迷っているのか、ただ唸るばかり。いつもならその大きな体と強面とでは想像もつかないような温く優しい言葉をかけ励ましてくれる男であるはずなのだが……何かを知っているのだろうか。そう思い当たり、ウィリは座りなおし訪ねてみる。
「なあ、副団長、なんか聞いてない? 俺の事、団長からさ」
ルイージは問いには答えず、尚も迷いながらではあるが、彼の中でそれが最善であると判断したのだろうか、周囲を気にしながら、落ち着いた、しかし張り詰めた小さな声で語りだした。

ルイージの話は数十分に及んだ。団長──ローザは事情があり身を潜めながら1人旅をしていた時期があり、その頃にとても恐ろしいことがあり、無事ではあったものの、以来男に触れられるのが苦手で──ルイージは言葉をものすごく選びながら語った。だが、女の一人旅、恐ろしい事、男に触れられたくない。この3つのキーワードだけでどういう危険が身に迫っていたかなど安易に想像がつく。ルイージが助けに入り、事なきを得たらしいが、その時の恐怖は想像を絶するだろう。丸い赤っ鼻は、しきりに汗を拭っていた。
今は普段は昔のことは引きずっていないみたいだけど、ふとしたことで思い出してあんな風になるのかもしれないね。言った後で、ルイージは間接的にウィリを責めてしまったことにハッと慌てた。
ウィリは何も言わなかった。気にする様子を見せないように振舞いながらも、胸の中にうずまく様々な感情を上手く片付ける事が出来ない。
よほど神妙な顔になっていたのだろうか、すかさずルイージが
「あの子も悪気はないんだけどね……」
といつもの温い口調で付け足した。
「いや、俺は別にそんな」
いや何が別になんだ、と心の中で自分にツッコミを入れたものの、どうにも。

事情がわかったところでスッキリしない。だが、知る前とは思うところが違った。
とにかく心中は複雑だった。もやもやとしたものが晴れない。ローザを不憫に思う気持ちだろうか。それもある。かなりある。
トラウマを植え付けた下衆な暴漢共への怒りだろうか。それもある。相当ある。ものすごくある。
そんな下衆共と、無意識であるものの一緒にされたことへの悲しみか。……それもある。多分。
そして知らなかったとはいえ、結果的にトラウマに土足で踏み込んだ自分への無神経さに呆れる思いも、大部分。
あの時のローザの顔がふと浮かぶ。自分はあの時、どんな表情を彼女に見せていただろうか。

ふと足を止め、ベルガーデンを思った。ウィリは今し方聞いた話以外、団員の誰の過去をも知らない。自分のさえ分からない状況だ。
荒くれ者も多いと聞く。一座の中には、もしかしたらそのような過去……加害者側であった人間もいるかもしれない。もしかしたら俺も──思い、止めた。
そしてローザがそんな集団の長として努めているのは何故だろうか。
勿論、考えればその位置が相当に安全であるというのもわかるが。
しかしそれだけだろうか。ならばあの時自分に向けてくれたあの笑顔も、作られた“団長の顔”なんだろうか。もっと自然なものだと信じたい。

ウィリはそこでようやく自分の思考がどんどん逸れていった事に気が付いた。
笑顔──自分がほしかったのは、取り戻したかったのはそれだった。何故だか、その笑顔を向けられた時にとても嬉しかった。人の笑顔なんて見慣れているはずなのに、とても嬉しかった。
きちんと謝ろう。且つ深刻にならないよう、極めて滑稽に。俺が悪かったです、ホンットーに無礼者でしたっ!うん、これでいこう。
いいよ、とか、次からは気をつけて、とかぶっきらぼうに、だけどきっと笑って許してくれる。

ローザの部屋の前についた。辺り一帯に響いているのかもしれないと錯覚するほど胸が早鐘を撞く。ノックをしようとして留まっては蹲る事を数回繰り返した後に、とうとう意を決して扉を叩いた。
「はーい」
普段通りの声なのに、何故かさらに緊張は高まった。
「あ、お、俺です。ウィリです」
「……」
扉越しでもわかる、警戒の色。ローザの中ではかなり高い位置にいる危険人物なのかもしれない。
手を振り解かれたときのローザの顔を思い出してしまった。今も同じ顔をしているのだろうか。
怯むな。
「そ、そのままでいいんで聞いて下さい」
「……何?」
「いや、色々、その。謝ろうと思って」
おかしい。極めて明るく振舞おうと思っているのに、なんだか厳しそうな感じだ。頭の中から先ほどのリハーサルをぐいぐいと引っ張り出そうともがいている小さな自分がいた。
そうだ、ホンットーに無礼者でした。これだ。小さな自分は土下座をしている。うん、これだ。
「ホント……」
駄目だ、絶対に過去を知ったことを悟られてはいけない。ローザのためにも、ルイージのためにも。
一つ咳払いをして、よし、今ならいける。ホンットーに──。
「……俺が、悪かったです」
膝も計画も見事に崩れてしまった。
「反省してます」
「……」
「俺がその」
「……」
「……すみませんでした」

よほどウィリの声が弱々しかったのか、逆に心配させたのだろうか、ローザは扉を開け顔を覗かせた。でも目を合わせられない。
「そんな深刻に謝られるほどのことじゃない」
口調はいつも通りそっけないものだったが、瞳や声は、軽蔑、恐怖、そういうものとは正反対の色をしている。馬鹿な奴だと呆れているのだろうか、それとも謝罪が届いたのか。
「俺、ホント駄目なヤツでした」
滑稽に謝るつもりだったのに。
だけど記憶をなくして野晒しにされていた自分を助けてくれた時のこととか、そんな得体の知れない自分を快く受け入れてくれた時のことだとか、自分にとっては心底どうでもいいと思ってたナイフの芸を褒めてくれた時のことだとか、そのたび向けてくれた笑顔だとか信頼だとか、そのおかげでその芸が好きになった事とか、その裏の災難な過去のトラウマだとか、色々思い出してしまったのだ。
滑稽になれなかった。
「いや、だからさ」
「俺、俺」
実際、ローザが思っている以上にウィリが重く深く捕らえすぎていたのだろうか。 思わず立ち上がっていた。姿を現したローザは、すっかり完全にウィリに気圧されていた。
「ちょっと聞」
拳に力が入る。ウィリは気が昂ぶっているのか、ローザの言葉も届かず、
「俺は団長に嫌われたくないんだあああ!」
そこまで言い終った後にようやくウィリの意識は戻ってきた。感情のままに走ってしまう悪い癖が出てしまったか。うわー、うわー、俺、今何言ったっけ。急に頬が熱くなる。
ポカン。丸めた台本で頭を叩かれた。
「話を聞け」
「ハイ……」
さっきまでの勢いはどこへやら、急にしゅんと小さくなる。ちらりと見上げてみると、ローザはくすっと笑っていた。
「こっちも変に気にしてしまって、ごめん。その、驚いたとはいえ、振り払ってしまったり」
「いや、それは全然……」
口から虚勢が出てしまったが、本当のところこの言葉を聞いて救われた気持ちになったのは確かだった。振り払われることなんて多いのに、何故こんなに気になっていたのか、原因は分からないが。
ローザが口を開いた。
「私も悪かったし……もう、あんまりその、抱きついたりとか、そういうことしないのなら、それでいいよ」
「だ、だんちょおぉおお……」

もういいよ、気にしてないから。ローザは付け足した。その単語がウィリの中で何度も何度も何度もリフレインした。もういいよ──この晴れやかな気分は一体どう形容すべきだろうか。まさにステンドグラスから光が差し込み天使が黄金の楽器を片手に舞い降りてきた、そんな幻覚が見える勢いであった。気にしてないから──またあの笑顔を向けてくれるんですね? この嬉しさを堂表現すべきだろうか。嗚呼、自分は以前にも同じように嬉しさの表現に困り、“嬉しさの余りに”、えっと、何だっけ。もう脳内全てが真っ白になっていた。

またしてもウィリはあろうことに、ありがとうございますうううと叫びながらローザに抱きつこうとし、だんちょまで言った時点で
「だから……、」
ローザはサッと身をかわし、
「話を!」
握り拳を力強く引き、
「聞けと!!」
そのままウィリの顔面目掛けてぶっ放した。吹っ飛んでなおも懲りてなさそうなウィリに呆れ顔でローザは言い放つ。
「ウィリがここまでアホとは思わなかったよ」
そこにはもう怯えるような強張った表情はなかった。

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