[SS]消えたマジシャン

そんなふざけたことしか出来ないなら、もうステージには立つな。
父親の怒鳴り声が部屋に響いた時、いつもへらへらとしている兄のヘリオスから笑顔が消え、ただ鋭く父を睨み据えていた。

そんなことがあったからか、その日の夜、ディアナはヘリオスの部屋を訪ねた。勿論、傷心に暮れ落ち込んでいる健気な兄なんてものは微塵もないことはわかっている。が、やはり気になったのだ。フンと拗ねることはあっても、あんな顔をすることは、今までなかったから。
ディアナは二、三度扉を叩いてから「入るよ」と返事も待たずに部屋へ踏み入れた。
「あー、ディアナじゃん。何? 読みたい本でもあんの?」
ヘリオスはいつも通りのあっけらかんとした態度でディアナを迎えた。
なんだ、心配して損した──のもつかの間のことだった。

「何……これ」
部屋一面に散らばる服、本、小物、複数の収納箱と何だかよくわからないオブジェから何から何まで散乱していた。しかし暴れたというわけでもなく、むしろ泥棒か何かに漁られでもしたかのようだ。
「何、してんのさ、これ」
ディアナは呆れたように言い放つ。ヘリオスはベッドの上にどかっと座り、あれよこれよと物色している。傍らに大き目のバッグが置かれ、その口からシャツらしき布が数枚、顔を覗かせている。
「ま……まさか」
まとめられた荷物。そんなものが目に留まれば、ヘリオスがしようとしていることになど簡単に想像がつく。いやでもまさか。しかし……この考えなしの馬鹿な兄ならやりかねない。
あっけにとられているディアナに対し、ヘリオスはディアナが見たこともないような、それはそれは良い笑顔をしていた。ディアナは足元に広がるあれこれを避けながらヘリオスの元まで辿り付き、とりあえず脳天を一発ひっぱたいておいた。景気のいい音がした。
「はあ? 何考えてんのさ! ちょっと叱られたくらいで何で」
ガンガンに攻め立てる妹を尻目に叩かれた箇所をさすりつつもヘリオスはそれに抗おうともしない。
「いきなり家出準備ってどーゆーことさ! ていうか、全然反省してないんじゃん!」
「何、お前がへこたれてるとでも思ったわけ? それとも心配? 寂しいとか? お兄ちゃん、行っちゃやだあ?」
「阿呆!」
ヘリオスのからかい口調は収まらない。そんなヘリオスにディアナは今度は拳を一発お見舞いした。

「だってつまんねえんだもん」
なんともない口調で言った。
「は?」
「親父のマジックをやるのが」
ヘリオスは散らばる服を選りすぐっては投げたり詰めたりをしながら、調子そのままで口を開く。
「つ、つまんなくないじゃん、楽しいよ! 父さんのマジック、馬鹿にすんな! みんなを笑顔にできるんだよ、大人も子供も、関係なく! すごいことじゃないの?」
ディアナは兄のつまらないという発言に少なからずショックを受け、自然と声も小さく震える。あんなに楽しそうにマジックをしていたのに、あれは嘘だったのだろうか。それとも、先ほど怒鳴られたことで考え方が変わってしまったのか。まさかマジックが、嫌いに……?
「そうだよな、マジックはすごいよな。おれみたいなひねくれものでも、人を笑顔にできる」
と、ディアナはそれに拍子抜けする。
正直、ほっとしたのも確かだが。が、意味がわからない。何が言いたいのか。
「言ってることがめちゃくちゃだよ。どういうことさ」
「おれはマジックが好きだよ」
「だったら──!」
「ディアナ、勘違いすんな」
勢いよく身を乗り出すディアナに軽いデコピンを一発。
「おれはここじゃないどこかで、おれのマジックを続ける」

額を弾かれてその言葉の意味をディアナは考えた。
マジックが好きだ、だからマジックを他所で続ける。つまり……ただの父親への反抗?
「あんたねえ、ガキにも程があるよ! 叱られるなんて、あたしでもしょっちゅうだってば! それぐらいでスネるなんてっ!」
そもそもね、だいたいね、そういう言葉を何度も使いながらディアナは熱弁した。 ハイペリオンのマジックに対する想いだと誇りだとかをとにかく投げつけた。 だがその必死の言葉ではヘリオスの心を揺るがすことはない様子だった。

「聞いてんのっ?」
熱くなりやすいディアナはますますヒートアップし、ヘリオスの胸倉を掴んでガクガクと揺らす。対しヘリオスはどんなに周囲が騒ごうともあまり動じないどころか、むしろその騒動を俯瞰で見るように楽しむタイプだ。だからこそ、父親に叱られた程度で怒り家出などという行動に出ることにディアナは動揺し、また、そうでありながらもまだ飄々とした態度を崩さない事にますますディアナの怒りに火をつける。
「拗ねてるんじゃないって、おれはおれの道を歩きたいだけ」
ムキになる妹の様子を暫し楽しんだ後、ヘリオスは変わらない調子で言った。ディアナはふっと掴んだ手を緩める。
「どういう意味さ」
「ここにいたらおれがやりたいように出来ないってこと」
「やりたいようって、何。フザけたマジックをってこと? そんなの──」
「おれはふざけてなんかいないよ」
じっと目を見る。笑ってはいるものの、そのらしからぬ真面目な瞳にディアナは若干怯んだ。

「おれは親父のマジックが駄目だと言うつもりはない。はっきり言って凄いと思うし、確かに後世に残すべきだと思う。そんな価値があると思ってる」
途中ディアナが口を挟もうとするも、ヘリオスはそうはさせまいとお構いなしに続ける。
「でも受け継ぐのはおれじゃない。誰かが既に歩んだのとまったく同じ道をわざわざ辿りたくない。そんなものはつまらない。お前らだってそうだろ? 伝授したテクニックに自分なりの色みたいなの加えて楽しんでるだろ? おれだっておれにしか出来ないやりかたで、おれ自身も楽しめるマジックをやってたくさんの人に披露して喜んでもらいたい。だけど親父はおれのやり方を嫌ってる。多分親父は、おれに親父と全く同じ道を辿ることを求めてるんだと思う」
自分が期待されているからこそ。わかってはいるが、感情には嘘がつけない。 ヘリオスにとってはそれは名誉あることではない。単純につまらない事なのだ。
ヘリオスはぽかんとしているディアナの頭をぐしゃぐしゃと乱しながら「それで、おれが諦めると思う?」と付け加えた。

ディアナは、何も言えなかった。何かを言おうにも、何一つ言葉が出てこない。言いたい気持ちだけがそこに残り、ただただ頭を撫でられるがままだった。
「なに、やっぱ寂しいわけ? 可愛いなあ」
その一言にようやくディアナはの意識は目の前に戻り、力いっぱい否定し、そして足元に転がるクッションを武器にばふばふと何度もヘリオスを攻撃した。
「誰が! もう知らない、何処へでも行っちゃえばいいんだ!」
ディアナは何故だか妙な悔しさを感じた。反論出来ない事にではない。自分の言葉が何ひとつ届かない事にでもない。 何が悔しいのかはっきりとわからないが、とにかく、とてつもなく悔しかった。悔しさと、そしてその中にあるほんの少しの羨望。そんなディアナの気持ちを汲んでか知らずか、その攻撃を腕でガードをしながらも、ヘリオスはやはりそれから逃げる様子もない。
「ま、ハイペリオンのマジックもお前がいるなら安泰だろ。お前、おれなんかよりずっと才能あるしな」
それはディアナの猛攻を止めるには十分だった。
何を言ってるんだこの馬鹿兄は。いまさら機嫌取り? ヘリオスにはどうひっくり返ってもかなう筈もない、単純にマジックの腕も、観客の心を掴む力も、父からの期待も、何もかも。そう常に思っていたからだ。 だけど……口から適当なことを言っているようにも聞こえない。普段はあんなに、何を言っていても冗談のように聞こえるのに。

「お前はお前で頑張れよ。相棒もいるんだろ? それにパス坊、あいつもいるよな。相棒にライバルなんてお前、恵まれすぎだよ。そういう相手がいるとさ、楽しくマジックやれるだろ? それにさっきのお前の話聞いてたら、お前のマジックに対する情熱っての? すごいよく分かるし。そういう点ではおれを既に余裕で越えてるんじゃねえかな」
そう言いながらディアナの抱いているクッションをぱっと奪い、器用にバッグへ縛り付けた。
「おれも楽しいマジックのために、ちょっと行ってくるよ」
思いたったが吉日ってわけ。そう笑いながら、すっかり荷作りの終ったバッグを抱え立ち上がった。
「え、ええ? 今から? もう? ちょ、ちょっと待ってよ!」
まだ言いたいことだっていっぱいあるのに──そんなディアナの言葉空しく、ヘリオスは部屋の窓に手と足を掛けながら、
「戸締り忘れんなよ! それから悪いけど後片付けもやっといて」
ちょっとそこまで買い物いってくる、そんなノリだった。瞬時に現れた幾多もの羽根や紙ふぶきがディアナの視界を遮り、次には先ほどまで目の前にいたマジシャンはもうそこから姿を消していた。
あっという間だった。
「待っ……ていうか、ここ2階……!」

なんとか邪魔者を振り払い、慌てて窓へ駆け寄り覗き込むが、ヘリオスの姿は何処にも見当たらない。
よく目を凝らして垂直の地面を覗き込むと、そこにはヘリオスに格好を似せたパンダのぬいぐるみが無造作に放置され、哀れにもその頭部にはケチャップがぶちまけられ、さらには“脱出失敗の図”などと不名誉な矢印をも向けられていた。
「え、えぇー……こんなところでもバカなネタ仕込むわけー……?」
その不謹慎っぷりにディアナは心から呆れ返り、
「ほんと馬鹿」
と誰もいない空に向かってつぶやいた。

くるりと振り返る。実感のない寂しさのたちこめる、しんと静まりかえった部屋──そこに残されたものは、そこかしこに横たわる荒らされた衣類、散乱する幾多の本、複数の収納箱はあちらこちらに鎮座、そしてそこら中にブチ巻かれたガラクタと、足元には大量の紙ふぶきと鳩の羽。
ディアナは部屋を見渡しそれらを目で軽く勘定しながら、あれだけ言いたいこと好き勝手言うだけ言って、これらの後始末を全部可愛い妹に押し付けるなんて、本当に人騒がせで迷惑な兄を持ったと肩を落とすのだった。

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