[SS]美味しいオムレツもう一度

玉葱とひき肉をみじん切りにし、味付けをしながら火を通す。
玉子少量のマヨネーズを入れ、たっぷりすばやく十分にかき混ぜる。
フライパンにはオリーブオイルを敷き、十分に熱したら一気に玉子を流し入れ、きれいに形を整える。具を乗せ包み、ひっくり返して数秒。ふわふわとろとろいい具合に焼けた具入り玉子を皿に移して、お手製デミグラスソースか定番のケチャップをかければ、美味しいオムレツの出来上がり。

たった数分で出来るこれが何故出来ない。
あれほど得意だったのに。

厨房では静かにオムレツが量産されていく。いずれも形が崩れた、破けた、あるいは焼けすぎている不細工なものばかりだ。
イヴリックはフライ返しを左手に、懸命に玉子の形を整えている。が、整えられない。上手くいかない荒立ちが、余計にその形を崩す原因となっているようだ。そうしてまさに今、またひとつ不格好なオムレツが生み出された。

ラッテがそれらを丁寧に誰もいない客席へと運ぶ。テーブルに並べられたオムレツは総勢七つ。
運び終えたラッテは数ある席のうちの一つに腰掛け、手を合わせて呟いた後、潰れたオムレツを口へ運んだ。
「ああもう、ちくしょう」
苛立ちが募る。悪態をつこうが喚こうが、何度やっても腕が思い通りに動かない。イヴリックは左手での料理に未だに慣れないでいた。
出来たばかりの新しい歪なオムレツを手に、ラッテの向かいの席へため息混じりで腰掛けた。

いびつなオムレツの形、色、何もかもが気に入らない。そんなイヴリックの態度を余所にラッテは淡々と述べる。
「味は美味しいわよ」
「当たり前だ、僕が味付けや分量を間違えるわけがないだろ」
「全然料理してなかったくせに」
「うるさい」
そう言ってイヴリックもオムレツを食べはじめた。カチャカチャと響く二人分のスプーンの音。
暫く食べ進んでいると、片方のスプーンの音がふと途切れる。
「やっぱりオムレツは両手自由に使えないと厳しいな」
スプーンを置いたイヴリックは、右手にはめていた白い手袋を外した。そこにあったのは、本来あるはずの生身の右手ではなく、武骨な義手だった。ラッテは普段手袋に隠されているそれをちらりと見ただけで、変わらないペースでオムレツを口に運んでいる。 そして一段落ついたところで冷水で喉を潤してから口を開いた。
「いいんじゃない? 多少崩れてたって。料理に一番大事なのは気持ちってメリ兄も言ってたじゃない」
励ましであろうその言葉に、イヴリックは大きく首をふった。
「駄目だ。こんなの出せるわけないだろ」
「美味しいのに何が気に入らないのよ」
「形。こんな崩れたものを気持ちだといって出せと言うのか」
「でも片手じゃなかなかきれいに出来ないでしょ、しかも利き腕じゃないし」
「れ……練習すれば出来る、と思う」
「ふうん」
ラッテは呆れた様子でもう一口食べてから言った。
「そんなにこだわらなくても、ハルは十分喜んでくれると思うけど」
「……」
イヴリックは黙ってスプーンを動かした。

──ハルセとはちょっとした縁で幼い頃からの付き合いだった。料理人の息子であるイヴリックは自身も料理好きであり、将来は料理人になることを目標としていた。そしてよく料理を試してはハルセに試食してもらっていた。包み隠さず正直に正当な評価を下すハルセの感想は、イヴリックにとって相当な糧となった。変な味と言われたら悔しかったし、喧嘩も多かったが、美味しいと言われるととてつもなく嬉しかったものだ。
そんなハルセがやむを得ぬ事情によりこの国を出たのは今からもう数年前の事。イヴリックは、国外へ出なくてはならない事に不本意なハルセを激励するためにひとつの約束をした。

帰ってきた時には最高のオムレツ用意して迎えてやるよ!

その頃はまだ利き腕も健在だったし、最高のオムレツを用意しておく自信もあった。まさか腕を失う事になるとは、その頃は思いもつかない事だった。
あれだけ好きだった料理から突如引き離され、表面ではなんて事無い様を装っていたイヴリックだったが、内心悶々とした日々を過ごしていた。もう料理は出来ない、無理だ、仕方のない事、諦めろ──。

ふてくされ、触ることが無かった調理器具に再び触れようとイヴリックを動かしたのは、再会を果たしたハルセの成長した顔だった。沢山の人と出会い、沢山の事を知り、沢山のものを見て、沢山の出来事を前に、沢山の事を感じた顔だった。一方の自分はどうだろうか。成長、それどころか、むしろ。腕を失ってからずっと胸の片隅へと追いやっていた約束が、今更になってもう一度、もう一度と急かして蘇ったのだ。尤も、後ろばかり見ていた自分を否定したかっただけかもしれないが。
「やっぱり駄目だ。僕は最高のオムレツを作るって言ったんだぞ。これはどう見ても最高じゃないだろ」
「でも味は最高よ。味はね」
「それじゃ駄目だ、オムレツは形も重要なんだ!」
ラッテはまだ残っているオムレツの皿を見渡し、そのうちの一つを指さした。
「あ、でもこれなんてきれいじゃない?」
「え」
「比較的」
「比較的じゃ駄目だろ!」

そんなやり取りの最中、玄関の方からノックの音が聞こえた。
二人は顔を見合わせた。今日は店は定休日、兄のメリオールは外出していてまだ帰ってくるには早い時間だ。
イヴリックが出迎えようとした時、
「ごめんください」
ゆっくり丁寧だけど聞きとりやすいハッキリとした声がした。ハルセの声だ。
イヴリックはドアノブから慌てて引き返し、右手袋を装着しなおしてから突然の来客を出迎えた。
「何しに来たんだよ」
「せっかくわざわざ遊びに来てあげましたのに、まったくひどい言い種ですよ」
「それならそれで連絡くらいしろよ」
「冗談です。たまたま近く通りかかっただけです」
ハルセは相変わらずにこやかで丁寧で、ハッキリキッパリしている。
顔を合わせればお互い憎まれ口を叩いてしまうのだが、客間へ通そうとするその間でさえこういった調子になる。
急にふとハルセは立ち止まった。
「あら、ごめんなさい。もしかして昼食の最中で?」
「ん?」
店の方から漂う大量のオムレツの匂いにそう思ったのだろう。
いや、そういうわけじゃ──言おうとして、丁度ラッテも玄関へと姿を見せた。
「ハルだったのね。いらっしゃい」
「こんにちは、ラッテ。お食事中ごめんなさい」
「ううん、別に。ただの練習だから」
「練習?」
おい、言うな、バカ、とラッテを止めようとしてハルセとの間に割り込もうとするが、逆に制されてしまった。ラッテはこちらをちらりと見ただけですぐにハルセへと向き直し笑顔を見せた。
「そ。こっちよ、よかったら試食してって」
ハルセを沢山のオムレツが待つ客席へと誘う。
イヴリックはラッテが何を考えているのかわからなかった。

ハルセはまだイヴリックの腕の事は知らない。約束の事もあったし、昔から料理しかなかった自分がこんな有様になったと知られてしまえばどんな風に思われるか。同情されても、励まされても、何とも思われなくても、あるいはそれ以外の反応か、何れであっても辛い。時間の問題であるとは思いつつも、ハルセにだけはなんとなく言いだせないでいたのだ。そんな事はラッテも知っているはずなのに。心なしか、何かを企んでる時の表情のような気もしたが──不安げなイヴリックを余所に客席へ、テーブルに並べられた沢山の崩れたオムレツがハルセと対面した。

驚き立ち尽くすハルセに、ラッテはそのうちの一つの椅子を引いて着席を促し、そして注いだ冷水をその傍らに置いた。
こんな無様なオムレツは晒したくなかった。イヴリックはラッテを睨んだが、ラッテはそれに対し目を細めて答えるだけだった。
「あたしが作ったのよ。イヴ兄に教えてもらってんの。でも駄目ね、上手く出来ないわ」
「……は?」
「ね、イヴ兄」
ラッテは俯き気味のイヴリックを覗き込んだ。心なしかいつもより柔らかい顔だ。ラッテなりの気遣いなのだろうか。嘘をつくのは苦手だが、イヴリックはそのラッテの言葉に乗り、頷いた。
「ラッテがオムレツを? それにしても随分と不細工な……」
知らん顔をすると決めたイヴリックだったが、相変わらず遠慮の欠片もない不細工という単語に、背中から心臓に向けて鋭利な矢のようなものでドスッと刺されたというかむしろ貫かれた気持ちになる。
「そうなの、とっても不細工だけど、味は保証するわ。まだ温かいから美味しいわよ。不細工だけど」
さらにラッテの追撃。不細工という単語が妙に強調されていた気がしたのは気のせいだろうか。
「えっと、頂きます」
ハルセは丁寧に食前の言葉を呟き、オムレツの形をしていないオムレツをスプーンで軽く裂き、口へと運んだ。
思わず言葉を失い凝視してしまうイヴリックとラッテだったが、どういうわけかハルセはそれを一口含んでから反応がない。ハルセなら美味しいとか不味いとか、すぐさま何らかの一言を発すると思っていたのだが、何を感じているのか、表情からは伺えない。
ふとハルセと目が合う。イヴリックは後ろめたさから思わず逸らしてしまった。
もう一口、ハルセは何かを確認するかのようにゆっくりと噛みしめる。そしてほんの一瞬目を伏せた後、息を飲む二人にハルセは小さく頷き、いつも通りの穏やかな笑顔で言った。
「すごく、とっても美味しい」
「そう、よかった」
「形はとっても不細工ですけど」
「そうなの、すっごく崩れてんのよ」
ふっと緊張感から解放されラッテも笑顔で応えた。
だがイヴリックは俯いたままだ。

嬉しかった。こんな無様なオムレツでも、舌の肥えたこの正直者の友人から「すごく美味しい」と言わしめることが出来た。まだちゃんと覚えていて失われていないものもある。
だけどやはりそれ以上に悔しい。描いていた理想像は、きれいでふわふわとして美味しい完璧なオムレツを、堂々と自分が作ったものだと差し出す事だった。見せたかったのは成長した姿だったのに。
「こんなぐちゃぐちゃのオムレツ食べさせて悪かった。すぐにちゃんとしたオムレツ、作れるようにする。だから、もう少し……」
拳を強く握る。

初めてハルセがこの店に来たのは、幼い頃に彼女の兄に連れられてのことだ。その時に、どういうわけか、食べたくないと泣きぐずった。
しかし最終的には元気にぺろりとたいらげさせ、笑顔にさせた料理の魔力。父や母が作り出した憧れのそれを手に入れたくて、幾多の練習の末にようやく手に入れ、そしてある時突然失った。

もう一度、取り戻せるだろうか?
ハルセはくすりと笑った。
「水くさいですよ。練習ならいくらでも付き合います。試食ならちっちゃい頃からしてきたんですから。そんなの今更です」

幼い頃の光景が浮かんだ。不器用でまだまともに形を作れずに散々茶化された記憶。心を抉る言葉もいくつか頂いた気もするあの頃は、今のオムレツよりひどい形のものもいくつかあった気がするが、それでも楽しかった。笑っていた。
もう一度同じ道は辿れないだろう。描いた理想も手に入らないだろう。それでも、近づく事は出来るはずだ。
ほんの少し気持ちが軽くなった気がした。
「そっか、そうだな……ありがとう」
イヴリックはようやく微かに笑った。


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