[SS]道すがら
次の目的地への道中。
いつもよりゆるゆると歩く紫峰のやや後ろから、弾むような凛花の鼻歌が風に乗って微かに聞こえてくる。春の陽気のせいか、それとも今し方の昼食で満腹になったせいだろうか。その様子は振り返るまでもなく。
「上機嫌だな」
「まあね」
それなりに金を出した食事は久々だった。野菜と海老の天麩羅はさくさくとした軽やかな食感が見事な揚げ具合で、三種の刺身も彩りよく瑞々しい。麩と若布の味噌汁は出汁の風味が香ばしく、ふっくらとしたご飯、各種漬け物、その他諸々。それなりの値段ではあったが、二人揃ってあっという間に平らげてしまった。
「普段からもっとこういう豪勢なお昼でもいいと思うんだけどなあ。紫峰はケチだから無理か」
「倹約家と言え」
これまで稼いだ金は各自で管理をしていたが、ふと目を離すと、凛花が和菓子だの洋菓子だのおやつだのを購入していたり、あるいは「よい情報がある」などという言葉を餌にぼったくられてしまうなど、一向に貯まる気配がない事に紫峰は気付いたので、ついでだということで凛花の財布も紫峰が管理する事となった。
旅の目的は金と情報。それらを得るための旅だが、金がさっぱりないというわけでもない。財布と相談しつつ、たまにはこうして少し贅沢な食事をとり、腹も心も満たさねば厳しい旅など出来はしない。
「今のアタシならどんな仕事だってこなせるね! 何かないかな、丁度いい仕事」
気合い十分な声に紫峰が振り返ると、凛花はおどけて拳を前へ上へと殴打する素振りを見せる。性格こそ勝ち気ではあるものの、長く真直ぐな黒髪、凛とした目元、整った顔立ちに赤い上品な模様の着物……外見だけならば凡そ似合わない仕草だ。それこそ、畏まった部屋で琴でも奏でている方が余程似合うような。背に携えた胡弓が余計にそんな雰囲気を醸し出していた。
そんな容姿をしておきながら、
「大金落ちてないかな」
などという言葉がその口から出てくるのだから呆れてしまうのだ。
「只より恐ろしいものはないぞ。働くしかなかろう」
「働くって言ってもさ、こんなに平和じゃあねぇ……」
見上げれば青空、快晴。辺りは静かで、耳を澄ませば風が木々を揺らす音と小鳥のさえずりが遠くで聞こえる。ふと獣の気配に見やると、無防備な野良猫があられもない姿で寛いでいた。
「退屈だなー」
軽く伸びをしながら凛花がつぶやく。ふわと小さな欠伸も加えて。
「退屈はともかくとして、この様子だとこの辺りでは情報も収入も期待できんな」
「困ったね。大丈夫なの?」
この平和で穏やかである事は本来ならば歓迎するべき事なのだが、そうなると主に妖魔や物怪といったものの退治により収入を得ている紫峰らにとってはやや苦しい事になる。この二重規範を払拭するように、戦闘以外の平和的な稼ぎ方、あるいはこうした穏やかな時間にしか出来ないような事はないものかと、紫峰は己の財布を確認しながら考える。
「……」
豪華な食事の後であるというのに、財布の中身は思った他潤っていた。暫くは何の心配もいらない程度には入っている。
「心配はいらん。暫くは食うには困らんぞ」
「エッ本当に? やった」
そういえばこの辺りに入る前は何やら物騒な地域を通ってしまったようで、働き詰めだったことを紫峰は思い出した。そうなると、とりあえず今すべきことはひとつに絞られる。束の間の平和を堪能する事だ。凛花がくるりと前方へ回り込んで少し背を伸ばし、広げた紫峰の財布を覗き込む。
「本当だ。ねね、こんだけあればさ、暫くは遊び呆けて暮らせるんじゃない?」
「悪いがそこまでじゃない」
「なんだ」
向き直し、今度は凛花が前を歩く。
「無駄遣いしなければ、という事だ」
「はいはい」
凛花の声も足取りも実につまらなさげで、どうにも表情を見ずとも感情が読み取れてしまう事に思わず笑みがこみ上げた。
「じゃあさ」
凛花が笑顔で振り返る。
「駄目だ」
「まだ何も言ってない」
凛花がよからぬ事を企んでいるだろう事は安易に想像できたので即答する。割と定番のやりとりとなっていた。そしてとりあえず駄目だとは言ったが、結局は聞くのだ。
「ね、アタシと勝負しない?」
にやりといたずらな表情で言う。
「何の勝負だ?」
「運だよ」
「運、と」
紫峰は怪訝そうに凛花を見ると、その心中を察して凛花は言った。
「だってこんなに平和な道中、退屈だしさ。少しでも刺激が欲しいじゃん」
「ふむ」
そう、何もなければ次の目的地までただ歩くのみだ。そして、何も起こる気配もない。それならばということだろう。紫峰は正直な所、運にはあまり自信はなかったが、凛花の言葉には一理あるのでその話に乗る事にした。
「いいだろう。で、内容は?」
「簡単な事だよ。次にすれ違う人が男か女か、賭けるだけ。でね、当てた方が外れた方の言う事を何でも一つだけ聞く」
「ほう。面白そうだ」
「ね」
至って単純な内容だが退屈凌ぎには丁度良いかもしれない。
紫峰はつくづく思う。こういう時の凛花の思考には本当に感服する。
「ではどうする? 賭けはお前が先に決めていい」
「そう? じゃあ、そうだなあ。アタシはズバリ、『女』でいくよ!」
凛花はぐっと強く拳を握る。自信があるのか、はたまた単純に楽しんでいるだけか。
「では俺が『男』に賭ける事になるな。いいのか? こんな道を女一人で歩くなんて殆どない。俺が有利ではないか」
「ふふん。賭けはそういう方が面白いんだってば。それに紫峰はあんまり運がいいように思えないし、手加減ってトコロ。それでもアタシが勝つかもね」
得意げに笑う年下の娘に、紫峰は何一つ言い返す事等出来なかった。それほど紫峰は運には自信がなかったのだ。手加減、まさにその通り。そのくらいしてもらう方が勝負としては丁度いいのだろう。
そして二人は再び道を往く。街道はゆっくりと平坦ながらも山道へと変化し、徐々に木々が生い茂る。まだ高くに居る太陽は眩しく光り、所々に生まれた木陰に木漏れ日が光る。変わらず至って平和だ。そう、女性が一人歩いていてもそれほど危険もなさそうな程に。
「あ」
そして待ちわびた一人目の登場に二人は顔を見合わせる。その影は笠で顔こそ見えないものの、遠目でも分かる程の華やかな花柄の女物の旅装束だ。桃色の小さな風呂敷を大事そうに抱えている。物腰や小柄な体格からも間違いないだろう。紫峰はこういった展開になるであろう事は予想してはいたのだが、やはり悔しい。こんなもんか。己の運は所詮こういう運命なのか。凛花はニヤニヤと笑っている。ほらね、アタシの勝ちだと言わんばかりに。
さあすれ違うという距離で、花柄の旅人がこちらへと声をかけてきた。
「すみません、イシナギの村はこちらの方向で合ってますでしょうか?」
「えっ!? あ、ああ……間違いない」
「そうですか。どうもありがとうございます」
旅人は笠を外して上品に礼をし、互いの旅の無事を祈る言葉を交わす。突然の事に少し戸惑った紫峰だったが、驚いたのは凛花も同じだったようだ。
なぜなら旅人のその野太い低温を無理矢理に裏返した声は明らかに男のものであったし、ばっちりと化粧を施したその顔もどう見ても壮年の男そのものだった。目を丸くした二人は再度道往く旅人の後ろ姿を見送る。しずしずと、やや内股気味に歩くその所作はやはり女性のものであるようにも思えるが、いやだがしかし。
ほんの暫しの沈黙の後先に口を開いたのは凛花だった。
「ねえ、聞いていい……?」
何を聞かれるかは凡そ見当はついてはいたが。
「……満足してもらえる回答が出来るかは分からん」
「うん。……今のはどっちに勘定すればいい……のかな……?」
暫し立ち止まり、二人して首を傾げる。
「……男、だろう」
「えぇ~? でもさ、ただ声が低くてオッサンみたいな顔の女のヒトかも知れないよね」
「いや、あれはその、なんだ。多分、そういう趣味……というか」
「ふゥん……? ってなんか納得いかなーい!」
暫しの悶着とも言えるような審議の結果、紫峰に軍配が上がることとなった。
凛花も不満は残るものの凡そ納得という面持ちだ。
「んで?」
「ん?」
「ほら、賭けだよ。アタシの負けなんだから、何でも言う事聞いてあげるよ?」
先ほどの人物が男か女か。その議論に意識を持っていかれてしまいすっかり抜け落ちてしまっていたが、そうだ賭けの最中だったと紫峰は思い出す。しかしそうでなくとも、賭け事等で勝てる可能性等全く考えていなかった紫峰は、頼み事等何も考えていなかったのだ。
「どしたの? ほらほら、何でもお姉さんにいってみなよ?」
凛花はくいくいと指で自身を指す仕草で催促をする。
「ま、まあ待て」
「あっれー? ひょっとして何も考えてなかった?」
「い、いいから待て」
「図星だ」
むしろ負けた時の食費(と紫峰は断定していた)ばかりを予想していたのだ。しかし紫峰は勝ってしまった。
何でも? 言う事を聞く? 誰かに何かを頼んだ事等、これまでの人生でだって殆どないのに。こういう場合、一体何を、どの程度の事を頼めばいいのか。
「あ、ヤラシイお願いは駄目だからね。いくらなんでもね。正直引くから……」
「するわけないだろう!」
さっと身を隠す仕草で眉を顰める凛花にムキになって怒鳴ると、凛花はニヤニヤと笑っていた。
からかわれた事に気付いた紫峰は、こんな小さい事でも翻弄されていることに更にぐぬぬと頭を抱える事になる。
「そんなに難しく考えるんじゃなくて、軽くさ」
「いや、わかってはいるんだが」
「しょうがないなあ。んじゃ歩きながら考えといてね」
その足取りのように軽く考えている凛花とは対照的に、紫峰がいつも以上に難しい顔で悩んでいると、ふと先を歩く凛花に背負われた胡弓が目に飛び込んできた。そういえば、出会ってから気にはなっていたが、一度も聞いた事がなかった。
「なあ」
「ん?」
「その胡弓だが」
振り向く凛花の背の方を指差して、
「それで一曲頼む」
すると凛花は思いの外驚いたようで、
「ええええええ、紫峰が? 胡弓聞きたいの? 本気で?」
と目を丸くした。
「そ、そんなに驚く事か?」
確かに紫峰は、己の姿は一般よりも大柄且つ繊細さの欠片もない粗野な外見をしており、少なくとも音楽を嗜むようには見えないという自覚があった。しかし、
「だって紫峰が胡弓っていうか音楽を聞きたがるなんて、意外っていうか、全然繋がらないっていうか似合わないっていうか」
そうハッキリとキッパリと言われると、少し胸やら頭やらにぐさりと鋭利な何かで刺されるような感覚を覚えたのだった。
「失礼な。俺はこう見えても琵琶を嗜んでいたんだぞ」
「え、本当?」
むきになって対抗したわけではなかったのだが、その『琵琶』という言葉に凛花は意外な程に好奇心を寄せた目を向けた。しかし琵琶自体は実家に置いてきた為、今演奏をし証明する事は出来ない旨を伝えると、凛花は少しつまらなそうに唇を尖らせた。そして居直って、道の傍らの適当な岩に腰をかけ、胡弓を持ち直した。
「いいよ。演奏したげる。曲は適当でいいよね」
「ああ、それでいい」
紫峰は頷き、その場へ腰を下ろす。ひと呼吸置いた後、凛花はゆっくりと弓を引いた。張りのある中低音が一帯に響く。はじめは控えめに、だが次第に曲は強さを増してゆく。雅やかである一方どこか寂しげで、歌うように旋律を紡ぐその胡弓の律動に合わせ、凛花の髪も緩やかに揺れる。伸びやかで、音と一帯になるかのように気持ちよさそうに奏でる凛花の姿は、いつもと変わらぬ調子であるようにも思えたが、その背筋の伸びた凛とした姿と、岩や木々の不均衡さにより仄かに神々しくも感じた。
何処かで聞いた事のあるような、はたまた気のせいかもしれない、そんな既視感を感じさせるような和音が全身に心地良く響き渡る。木漏れ日の中、その上品な音色を間近で聞くひと時は、紫峰にはとても贅沢な時間に思えた。
やがて音色はゆっくりと、とろりとした余韻を残して消えてゆく。代わりに一人分の拍手が静まった空気を裂き鳴り渡った。手を止めた凛花はにかっと少し照れくさそうに笑った。
長いような、一瞬のような時間だった。
「見事だった。ありがとう」
「ふふん。お粗末様でした」
ぺこりと頭を下げる。
「しかし勿体なかったね」
仕事を終えた胡弓を長袋に仕舞いつつ、凛花は言う。言葉の意味が分からず訝しげにしていると、凛花は続けて
「琵琶。持ってきてたらさ、合奏できてたのにね」
奏でる仕草をしながら言った。しかし凛花と合奏するとなると一流と素人、とてもじゃないが不釣り合いだと思ったが、
「ああ、そうだな。邪険になどするべきじゃなかった」
それを差し引いても成る程楽しそうだと紫峰は思った。そして今も自室にて放置されたままで、奏でられる事を待っているであろう琵琶に思いを馳せ、少し後悔するのだった。
「さて、じゃあそろそろ行こっか。次の賭けは何が何でも勝たせてもらうよ」
凛花は胡弓を担ぎ直して立ち上がる。
「何……? まだやるのか?」
「当然。じゃないとつまらないし、アタシ命令はもう決めたからね」
(既に勝つ気で居るのか……)
きりっと構える凛花に紫峰はやれやれとため息をつくも、こういった時間は妙に心が弾むのを自覚している。
我ながら弱いな、と紫峰は小さく笑う。
「さ、勝負だ。さ、どっちに賭ける?」
「そうだな。じゃあ今度は『女』だ」
「じゃあアタシが『男』だね」
そうこうしているうちに対面から人影が見えてきた。遠くに揺れるその影に注目する。
だがそれが徐々に『虚無僧』であると分かるや否や、二人して見合わせて大笑いするのであった。