[SS]午後の紅茶とローズバス

まだ幼い少女が広い部屋でぬいぐるみをぎゅうと抱きしめ泣いていた。
唇を噛み締め、悔しさを滲ませた表情で、幼いなりに一生懸命声を殺し、肩を震わし堪えていた。
その大きな目からは大粒の涙がぽろりと零れた。

「どうなさいましたか、お嬢様」
すぐに駆けつけたのは落ち着いた壮年の声、しかし心なしか焦りも含んだ声だった。整った髪、整った髭、整った執事服。少女は執事の姿を見るや、先ほどまで抱えていたクマも放り出し、フリルのついた泥だらけのワンピースと乱れた髪とリボンを靡かせながら駆け寄り抱きついた。
「セバス! わたくし、くやしい!」
そう言うと少女はそのまま大きな声で泣き出してしまった。

とある巨大な財閥の娘であるカトリーヌ。
カトリーヌはその日、外ではしゃぐ子供たちの声に誘われ、こっそりと館を抜け出した。走る声を追いかけて公園までたどり着いたカトリーヌは、自分と同じ年ごろの女の子たちがしている遊びに興味を惹かれた。
葉っぱの上に並べられた石や土の団子、傍らに人形、花や木の実も並べてあった。
カトリーヌは彼女たちに声をかけた。
「あなたたちは、なにをしているの?」
女の子たちは答えた。
「おままごとよ。あなたもする?」
カトリーヌは少し照れながら頷いた。だけどおままごととは何だろうか。どうすればいいのだろうか。
「わたくし、おままごとというものをしたことがないの。どうすればいいの?」
「いつもおうちでしてるようにすればいいのよ。ごはんごっこよ。いっしょにやろう」
「おしょくじですのね、わかりましたわ」
カトリーヌは女の子たちの“おうち”へお邪魔することにした。
そして、腰をおろし、お互いの名前を確認したカトリーヌは彼女たちの様子を見る。
「それじゃあ、カトリーヌちゃんが入ったから、“やく”を決めなおそう」
「はーい」「わかった」「じゃんけんする?」「順番だよー」

どうやら参加する人たちで、家族役を振り分けて、家庭を模倣するようだ。大人気役の“お母さん役”は順番により先ほどとは別の女の子に決定した。“お父さん役”は最後までもめたが、カトリーヌは“一番下の子供役”に落ち着いたらしい。カトリーヌは実際に末っ子だから、特に迷う事もないだろう。普段通りにしていればいいと思ったが、全ての役が決まった後でカトリーヌはまだ足りない役が残っている事に気付き、尋ねてみることにした。
「ねえ、“しつじ役”はどなた?」
女の子たちはカトリーヌの発言にきょとんとした。
そして不思議そうに顔を見合わせた後、
「ねえカトリーヌちゃん、しつじって何?」
逆に質問されてしまった。カトリーヌは彼女たちが何故執事を知らないのか、弱冠動揺した。
「しつじは、しつじよ。わたくしのおせわとか、いろいろしてくれるの。わたくしがよべば、すぐとんできてくれますのよ」
「おかあさんやくとすこしちがうみたい?」
「えー、なにそれ、うちそんなのいないよー」
「もしかして、めしつかいのこと? わたし、やりたくない」

女の子たちの間で少しざわめいたが、結局は「しつじやくはよくわからないから、なしね」の一言で片付いてしまった。カトリーヌは弱冠不満を抱きつつもそれに従った。
そして食事がはじまった。お母さん役とお姉さん役の女の子が葉っぱの上に一生懸命団子を作り乗せている。
「ねえおかあさま、おかあさまはなぜ、しょくじを作っていらっしゃるの?」
カトリーヌが訪ねた。女の子にとっては何を意味不明な質問を、と思ったに違いない。
「なぜって、おかあさんがご飯作ってるもん。それよりカトリーヌちゃんも、ぼーっとしてないで、いろいろ探してきて!」
人数分の大きな葉っぱやきれいな実、花などを探してくるのは他に割り当てられた子たちの役目だ。だが末っ子カトリーヌはその様子を不思議そうにぼんやりと眺めていただけだった。
「え、わたくしが?」
「そうよ、みんないってるでしょ?」
「わたくしも? どうして?」
「どうしてじゃないでしょ、おままごとなんだから!」
怒られてしまった。しかしカトリーヌは忠実に日常を再現していただけだった。令嬢であるカトリーヌは、自分から何か労働をする事はない。普段通りに振舞っていただけだったのに、何故突然怒鳴られてしまったのか。

その後もカトリーヌと女の子たちの感覚の違いから溝のようなものが生まれ、微妙な空気が流れる。カトリーヌはやれ「アフターヌーンティーは」だの、やれ「バラの花の手入れは」だの言うのだから無理もない。いちいち流れを止められる面倒くささもあったのだろう。女の子たちの苛立ちはとうとう頂点に来てしまった。
「もう、カトリーヌちゃんかえって! なんだかカトリーヌちゃんのおうち、ヘンみたいだし!」
「全然おてつだいしてくれないし!」
「おままごとには“しつじ”はいらないんだから!」

カトリーヌは衝撃を受けた。ヘン? わたくしのおうちが? 執事がいらない? わたくしには必要不可欠だというのに?
カトリーヌにとっては理不尽な言葉をぶつけられ、次第に怒りがこみあげてきた。
「なによ! そっちのほうこそヘンですわ! しつじはいらなくなんてないんだから! わたくしのおうちはヘンなんかじゃなくってよ!」
カトリーヌは顔を真っ赤にして女の子を突き飛ばした。それから泥を投げ実を投げ花を投げ、髪を引っ張り服を引っ張る大けんかになった。
お互い散々喚いて暴れた後にようやくカトリーヌは「もうかえる! おぼえてらっしゃい!」と怒鳴って走り去った。髪はぼさぼさ、リボンは解け、顔もワンピースも泥だらけ。そんな姿で部屋へと急いだものだから、屋敷のメイドたちは心配して駆け寄るも振り切って戻ってきたのだ。

その様子に心配し駆け付けた執事セバスチャンに抱きついたまま大きな声で泣きじゃくり、この悔しさを言葉にしようにも上手く言えないでいるカトリーヌに、セバスチャンはそのくしゃくしゃの髪を優しく撫でる。するとその手には魔法でもかかっていたかのように、カトリーヌの呼吸は途端に落ち着いていった。
「こんなになって、どこの輩ですかお嬢様をこのようなお姿に変えたものは」
セバスチャンは屈んでカトリーヌと同じ目線に立ち、真っ白なハンケチーフでカトリーヌの額についた泥を拭い、何処から取り出したのか銀色の櫛で髪を梳く。落ち着いた声で、しかしいつもよりトーンの低い声だったので、カトリーヌは少し焦った。セバスチャンがこのような調子でこのような声色の時は、落ち着いているようでいて怒っているのだ。
「ちがいますわ、わたくし、たたかったんですの」
「戦われた」
カトリーヌはこれまでのことをセバスチャンに伝えた。 勿論、自分に都合のいいように弱冠の脚色により、武勇伝のようになってしまってはいるが。
「わたくし、くやしくて」
「成程、お嬢様は我々の名誉のために戦われたと」
カトリーヌが力強く頷くと、セバスチャンは俯き、そして肩を震わせた。不思議に思い首をかしげていると、面を上げたセバスチャンの両目には滝のような涙。カトリーヌはぎょっとした。何故ここでセバスが号泣を!
「なぜなくの、セバス!」
「お嬢様……私、嬉しゅうございます」
セバスチャンは上品に涙を拭うが、拭えども拭えどもその滝は流れを止めることはない。
「な、泣くのをおやめなさい!」
「かしこまりましたお嬢様」
ピタリと泣きやんだ。
「もう、セバスがそんなにないちゃうから、わたくしのなみだはふっとんでしまいましたわ」
「それはようございました」
セバスチャンはカトリーヌのリボンを結びなおし、そのあと何事もなかったかのようにぴしりと直立する。カトリーヌは頭を軽く手探りで触れ、整ったリボンを確認した後、満足そうに頷いた。
「セバス、ききたいのだけど」
「なんでございましょう」
「わたくしは、まちがっていないわよね?」
「勿論でございます」
「わたくしたちはヘンじゃない」
「当然でございます」
やはりわたくしは間違ってなどいない。だってセバスがそう言っているもの。カトリーヌはその言葉にほんの少し萎えかけた自信が、遥かリヴァイレッド王国に聳えるガイアガ山脈が如く高く鋭く蘇った。
「セバス!」
「は」
「わたくし、おふろにはいりたいわ」
「直ちに」
「セバスのローズバスじゃないといやよ」
「かしこまりました」
「そのあとはアフターヌーンティーよ」
「かしこまりました」

カトリーヌは思った。ほうらごらんなさい。やはりセバスチャンがいないとなにもはじまらないじゃないの。やはりセバスチャンはわたくしには必要不可欠だわ。
先ほどまでの悔しさはどこへやら、カトリーヌは勝ち誇った笑顔で狂ったように高笑いをしながら、セバスチャンに手を引かれてメイドの待つ大浴場へ向かったのだった。

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