[SS]オレンジジャム

職務の1つとして、巡回のため城下町を歩いていると、ふと1軒の店からオレンジの香りが漂ってきた。
そのどこか懐かしい甘い香りに、一瞬にしてさまざまな事が同時に思い出された。
それはとても優しく暖かく悲しい記憶。

あの頃のこの国では、大きな飢饉や疫病、反乱などが各地を襲っていた。しかし王国の片隅にあるこの小さな村にはまだ酷くは及んではいなかった。
貧しくはあったがのどかな村だった。村の全員が顔見知りといっても過言ではない、そんな優しい村だった。彼女はいつも得意なオレンジジャムを作っては、それをご馳走してくれていた。
この村には、この村にだけ伝えられているジャムの作り方がある。材料は自然に取れるものや安いものばかりではあったが、ほのかに甘酸っぱく、不思議に上品な味だった。母親が作ったものや、近所のおばさんが作ったものなども食べてきたのだが、彼女の作るジャムが一番おいしく感じていた。
近所のものが一軒の家に集まり、皆で笑いながら手作りのジャムとパンを食べる。幼い頃からずっと、朝はそうやって過ごしていた気がする。そして明日も明後日もこれからもずっと、こんな朝が続くものだと思っていた。そんなあの頃。

反乱軍に参加し始めた頃の事。リーダーとして指揮をとる少女がいた。幼いその身を削り、真っ直ぐに勝利だけを見つめる、そんな少女だった。
ある日の朝食の事。彼女は少女にいつものオレンジジャムをすすめた。少女はそれをとても美味しそうに、とても嬉しそうに食べていた。その表情は、あの村にもいた、どこにでもいるような普通の少女の顔そのものだった。それが何故だかとても嬉しくて、その日は自分も一緒に朝食を共にさせてもらった。少女は快く歓迎してくれた。
随分と久しぶりに食べたそのオレンジジャムの味は、あの頃と何1つ変わっていなかった。
調子に乗った彼女は、他の目に付いた人全員にジャムを配り、そして美味しそうに食べる皆の様子を見ては、うんうんと満足そうに笑っていた。その時だけ、戦の事など何処か遠い世界の事のようにすら感じた。

戦も終盤に差し掛かった頃。彼女の死から数日後に、それは見つかった。
彼女を失った戦の前日にでも作ったのだろうか、まだ色の鮮やかなオレンジ色が見える透明な小瓶だった。
蓋を開け、軽く手にとりそれを舐めると、その味は何1つ変わっていなかった。
全く変わっていないその温かな味が、胸を締め付けた。

そんな事を思い出しながら街を歩く。
そういえば自分もそのジャムの作り方なら知っている。
母が作っていた所をよく見ていた。記憶力は悪いほうではないと思っている。
作ってみようかな。そう思い立った。
出来たところで何がどうなるわけでもないけど。もしかしたらまた会えるのではないか、彼女の作るオレンジジャムの味に。

そして彼は次の休日に作った。日毎、薄まりゆく記憶をたどりながら。
出来たそれをスプーンで掬い、味をみてみるとそれはとてもおいしく出来ていた。
懐かしい味だった。しかしそれは求めていた味とは少し違っていた。

「マニュアル通りにしたって私の味は出せないわよ?」
そんな風に得意げに笑う姿が思い浮かんだ。
「やっぱり駄目か……」
そういって彼は苦笑した。

オレンジジャムの味だけが、口の中でまだ生きていた。

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