[SS]それに込められた思い
レジナのとあるオアシスの街に立ち寄った時のこと。
今日の寝床にその宿を選んだのは、他に探す手間を取りたくなかったことと、特に怪しい雰囲気も無かったこと、そして入り口の傍らにある強烈に目立つサボテンが、つい今し方旅の物資調達のため別れた相方にとって分かりやすい目印になると思ったからだ。
ロイアードは鎮座するそれに気を取られつつ宿に足を踏み入れ、女将に促されるまま宿帳に二人分の名を記した。そしてちょっとした雑談のつもりで女将にその巨大なサボテンについて訪ねてみることにした。
「随分とでかいサボテンだな」
「あら、ごめんなさい。入るのに邪魔だったかしら?」
感心のつもりで発した言葉だったが、女将は言葉の意味を違えたらしく、ロイアードは慌てて否定した。彼は自身の持つ雰囲気と言葉足らずな発言のためかこういった誤解は多い。幸いにも女将は別段気にした様子もなく、むしろサボテンについて触れてもらった事に嬉しそうではあったが。
「随分と大事にされているようだ」
「そりゃあもう。素敵でしょう? 丁寧に丁寧に育ててますもの」
誇らしげに胸をはる四十過ぎほどに見える女将の表情が、ふっと少女のようなあどけないもののように見えた。
「サボテンはね、昔好きだった人が好きだったモノなのよ」
フフフと照れながら女将は続けた。宿帳に何か書き記す、テーブルを拭く、椅子を引くなどといった作業と難なくてきぱきと並行している辺り、随分と話し慣れているようにも思う。旅人が訪ねてくるたびにこのサボテンの話でもしているのだろか。
「さ、どうぞ掛けて」
ロイアードは丁重に頭を下げた後、腰をおろし、疲れた足を休めさせてもらうことにした。
「もう二十年も前になるかしら」
その言葉から始まった女将の話は、それ自体はよくある内容だった。かつて結婚を考えていた恋人がいたが、戦争がそれらを引き裂いた。戦に出た恋人がもう二十年もの間戻らない。つまりはそういうことなのだが、この国では石を投げれば当たるくらいそこらじゅうにある話だ。だからといって蔑ろにするつもりもない。この話は女将の──戦によって人生を狂わされたレジナの一国民の、大事な体験であり想いだ。そんな女将の気持ちがあのサボテンをあれほどまでに膨らませたのだろうか。
「あの人が戦場に出る前に、私に一つの種をくれたの。それがあのサボテン」
言いながら女将は目でサボテンを指す。ロイアードもその後を追った。
丸々とした体に立派な棘が全方位に向け、それは周囲に威嚇をしているようにも見える。
「この国で植物の種なんて何かと思ったわよ。何かの花かと思ったら、サボテンなんだもの。育て方調べるのに苦労したんだから」
カチャカチャと物音を立てながら女将は愚痴っぽく、それでいて嬉しそうに話す。
「最初は何よサボテンなんて、って思ったわ。だけど、私考えたのよ」
「考えた?」
「ええ。さて、このサボテンを私に贈ってくれた意味は一体何かしら?」
「……」
女将はロイアードの目の前にことりとカップを置く。それをありがたく頂きながら、女将の問いに少し付き合うことにした。
女将によれば、別れ際の言葉には特に意味を含むものはなかったのだという。ただこれを君に、とだけ。
意味──手渡された種には確実に何らかの意味があるのだろう。ロイアードは腕を組み考える。戦場に行く男が女のために贈る時に、何を願うか。
「自分のことを、忘れないように、か?」
「そうね。そういう意味もあるかもしれないわね。でも、どうしてサボテンなのかしら。もしかしたら私、枯らしてしまうかもしれないのよ。だったら単純に何かしらのモノのほうがいいんじゃないかしら」
確かに忘れられないためなら、壊れないものや身に付けるものの方がいいだろう。
「必ず帰ってくるから、それまで自分の代わりに育てておいてくれ、とか」
「そうねえ」
どうも女将の受け答えに手ごたえを感じない。それもそうだろう。たった数分前に事情を知った旅人がたかが数秒考えたことなど、女将が過ごした二十年もの間に何度も浮かんだに違いない。
「寂しくない様、サボテンを自分の代わりに、というのはどうだろう」
「ふふ、そうかもしれないわね」
その声はあくまで優しい。
ロイアード自身にも別れ際に友へ物を贈った経験がある。その時の自分をヒントにして考える事にする。何を想ったか。何故それを選んだか。幸運を齎すという白い美しい羽、それに何を託しただろうか──と、そこで思考が女将の声により遮られる。
「色々考えたし、きっとああいうことだわ、そういうことだわとそれなりに解釈をがんばってきたつもりだし、もしかしたらその中に正解があったかもしれない。でもね」
くるりと振り返り、
「正解を教えてくれる人はいない。どれだけ私が答えを並べても、正解かどうかなんてわからないの。私が勝手に想像をしているだけ」
きちんと言葉で伝えてくれていたらよかったのにね、そう笑いながら女将は軽やかにカウンターの内側へと戻った。
ロイアードは思った。そのサボテンに込められた意味そのものではなく、何故贈り主が何も言わずにその何らかの想いだけを託したかを。伝えたくとも言葉にならなかったか、それとも……。
二十年経った今でさえ枯れることなくこの女将の心を支配するその巨大なサボテン。戦場に出向く男の最後の呪縛。自分がこの世から消えてなくなっても、この女の心を自分へと向けるために。もしそれが目的だったのなら、その効果は存分に発揮されているのではないか。愛する女の未来、隣に自分が居ないそんな幸せを願うことが出来なかった一人の男の独占欲、そのようにさえ感じられる。
「あなたも」
女将が部屋の鍵を2つロイアードの目の前に垂らす。
「旅をしているなら、明日何が起こるかわからないわ。きちんと想いは言葉に出して伝えなきゃ駄目よ。言葉にしないと、いつまでもいつまでも悩み苦しむ私のような悲劇のヒロインが出てくるかもしれないんだからね!」
揺れる鍵越しに覗くその表情には、ロイアードが案ずる影の欠片もなかった。あっはっはと豪快に笑い、その言葉と態度のあまりの差に、女というものはなんと逞しいものかと、目の前の女将、我が母、我が姉、そして相方の姿を思い浮べた。
「貴重な話を、どうもありがとう」
言いながら丁寧に鍵を受け取った。
ロイアードは部屋につくなり荷物から帳面を取り出し、日付や場所等の後に先ほどの女将とサボテンの話を書き記し始める。どんな小さな話でもこうして残すことをロイアードはこの旅を始めてからずっと続けている。
白紙の上に筆を走らせている最中、扉の向こうからぱたぱたと軽やかな足音が聞こえる。それは最初は騒がしく、しかしすぐ様大人しくなり、どうやら迷っているようだ。
そこでようやくロイアードは宿に目印はあっても部屋に目印は無かったという過ちに気付き、腰を上げ扉を開き顔を覗かせる。足音の主はその気配に振り返り「あ」と笑顔を見せた。その両手にある皮袋には何やらたくさん詰められているようでぼこぼこと輪郭を崩していた。
「ロイ! ちゃんといろいろ買ってきたよ!」
「お帰り、アル」
アルことアルトは元気に皮袋を一つ差し出してくる。受け取ると、それは見事にずっしりと重い。
「悪かった……俺も行けばよかった」
「なんで謝るの? 行くって言ったのこっちなのに」
そう言いながらアルトはもう一つの皮袋を部屋へと運び下ろし、その中から食料だの薬だのを取り出しロイアードの前へ並べる。
「サボテンのおかげで迷子にならずに済んだね」
ロイアードは並べられたそれらを確認しながら静かに同意した。
「ねえロイ、あれはなんていうサボテン?」
アルトが訪ねる。いつも何かを訪ねる時と同様の好奇心旺盛な目。
「あれはシアレット・ムーンという名のサボテンだ。火の神の月という意味で、何十年も掛けて丸く大きく育つ。毒性はなく、花も一応咲く」
「じゃあこれから咲くの?」
「いや……あと十年、あるいは二十年はかかるだろう」
「そんなにも?」
ロイアードが頷くと、先ほどまでの輝きはいずこへ、アルトは驚きと少しの落胆の色を見せた。
「じゃあ、女将さんはまだまだ頑張らないといけないね」
「……ん?」
「花を咲かせるためにさ、頑張って元気でいなくちゃね。でもその分楽しみがあっていいね! それに、女将さんがおばあさんになっても、サボテンはずっと長く生きるんだよね?」
「……」
嬉々と語るアルトの言葉の中に、ロイアードはあのサボテンにこめられた想いの答えを見た気がした。それは、呪縛などではなくもっと悲しい別れの覚悟。
「……そうだな。サボテンの寿命は人間のそれをはるかに超える。砂漠の中に逞しく立つ植物だからな……いつか人類が滅びても、サボテンだけはいつまでも聳え立つだろうとさえ言われている」
「強いんだね」
自分がいなくなっても寂しくないように。どんな時でも一人にさせないように。時にはその棘ある身体で主を守り、その水で主の命を繋ぎ──強く逞しい命でいつまでも傍で守りたい──そのような願いが込められているのではないだろうか。
しかし女将の言葉が過ぎる。「どれだけ私が答えを並べても、正解かどうかなんてわからない」、確かにそうだ。どれだけ可能性を並べても、そうであればいいというただの願望に過ぎない。
だが、どうせ答えがわからないなら、せめて幸せな解釈をすればいい。不正解だと述べる者も居ない。そう思ったが、あの女将の様子からすればもうとっくの昔にそこへ行き着いているのかもしれない。
そう、女将にとってはそれでいい。自分の生きる糧になっているのなら、それでいい。
それでもロイアードは、真実を知り、真実に辿り付き、それらを残していきたいと願う。例え今は真実が見つからなくとも、この旅の何処かで何かの形でふと掴めるかもしれない。それが例え理想と離れた醜いものであったとしても、砂漠の国と戦が齎した人々の嘘偽りの無い声を探し出し、そしてそれらを残す事は、無力な自分が国の為に出来る数少ない使命の一つのようにさえ感じるのだ。
「ロイ? ロイ~?」
目の前でぶんぶんと振られた手の平にふっと意識が戻る。
「ぼーっとしてるよ、どうしたの?」
「何でも無い」
「なんでもない?」
「嘘、考え事」
「難しいこと?」
「難しい事」
「ふーん」
小さなやり取りの後、女将のもう一つの声を思い出した。「きちんと想いは言葉に出して伝えなきゃ駄目よ」。
そうだ、まずは自分が目の前の相方に一つの真実を渡さなくては。
「アル。白い羽のことなんだが」
「うん?」
ボーっとしていたかと思えばと突拍子も無い話題へとシフトする、そんなロイアードにアルトは疑問符を頭に浮かべる。アルトの首から下げられたそれは指で持ち上げられ目の高さで揺れる。遠い押さないかつての頃、別れ際に託したその白い羽は今でもこうして友の手の中にある。
「その羽は旅人に進む道へと、迷い人には戻る道へと導くものだと言われているものだ。アルがこれから先どんな事があろうとも、必ずその先に道があるようにと願い渡した。白い羽がお前を守り、生き抜けるようにと」
アルトは「うん」と小さく頷く。
何故別れ際に渡したか。何故幸運を齎すよう祈ったか。何故生きていて欲しいと願ったか。
その意味、気持ちはその時に伝えたが、今のアルトにはその時の記憶は失われている。だけど知っていてほしくて、ロイアードは言葉を続ける。
不思議そうなアルトの目をじっと見つめる。
「だが本当はもっと単純だった。お前にもう一度逢いたい、ただそれだけだったんだ。だから今こうして共に居られる事が──」
窓からすうっと心地よい風が吹き込み、二人の髪を優しく揺らす。
「──こうして居られる事がとても嬉しい。ありがとう。これからも一緒に、この旅に付き合ってほしい」
あるのは並べられた傷薬と食料、二人の人間と穏やかな風、そしてひとつの真実の言葉。
傍に居てくれるだけで、隣を歩いてくれるだけで、不思議とすべてを探し出せるような気がする。一住民のひとかけらの小さな思い出から、古代の巨大な秘密、そして透明な記憶さえも。
「どうしたの、急に」と言いながらも当たり前のように笑ってくれるのが嬉しくて、普段変化の無いロイアードの表情も自然に小さなほころびを見せた。
そんな優しい空気を一刀両断する長く大きな腹の虫の声。
発生源は自分ではないとあらば、ただ一人。
照れくさそうに頭を掻く相方に少し呆れつつ、ロイアードは並べられた食料の一つを手にとり、蓋を開けた。